恋愛には相手がいる。
相手がいる、そして、その相手と恋愛の関係に至るには迎合しなくてはいけない可能性がある。
つまり、自分の信念を曲げる必要がある。
例えば、お金。
自分はお金を1番の理由として仕事をするのは嫌だ。
もちろんお金は必要だ。
でも、それを働く1番の理由にしたくはない。
少しでも何かを、どこかを良くしたい。
仮にそれが独りよがりであっても。
きっと、あなたにもあるのではないだろうか?
これは曲げたくないという何か。
信念だったり、価値観だったりということばで表現される概念だ。
でも、それを固持するのは、子どもっぽいともされることがある。
恋愛市場でモテるためには捨てなきゃいけない価値観がある。
- 「誰かと恋愛をするわけだから、その誰かにとって良い自分であれば良い」
- 「だからありのままの自分で良い」
これが理想だ。
おそらくこれが健全なあり方だ。
でも、残念ながら、こんなスタンスは許されない。
「大人の恋愛」は迎合が求められる…ように感じる。
本当の自分を表現しては、モテない。
モテなくても良い。
自分が好きな人が自分を好きならば。
こういう考え方もあるだろう。
でも、
自分の出会う女性の母数×自分のありのままを愛してくれる女性の割合×自分が愛する女性の割合
この乗算を考えると、「モテなくても良い。自分の好きな人が自分を好きならば。」という考え方の無謀さに直面することになる。
しかし、やはり迎合はしたくない。
わがままで子供じみているかもしれないが、嫌なものは嫌だ。
それこそ、信念みたいなものだ。
となると、圧倒的に母数を増やす必要がある。
迎合が嫌なら、出会う女性の総数を増やすしかない。
シンプルだ。
そんなことを考えてマッチングアプリを始めたわけだ。
まあ、他にも理由はあった気がするけど。
でも、いいね数に固執してしまっていたかもなあ。
何だか本末転倒だ。
プロフィールも女ウケを無視したものにしようかな。
本当に自分の好きなことを表現して、そんで自分の考えを全面に出してみて、それでもマッチングする人とやり取りしてみようかな。
迎合するのって何だかすり減っちゃう。
摩耗しちゃう。
疲れちゃう。
だから、スタンスを変えてみようかな。
そんなことを思っている最近。
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